心を亡くさない
(投稿日: 2020年12月24日)
今年の初め、クルーズ船のニュースが連日報道されるようになって新型コロナウイルス感染症(以下、コロナ)が“我が国ごと”となった頃くらいからだったと思います。当初から一貫してコロナを(ただの)カゼだと思っている僕は、関連事項がテレビで扱われるたびに、「アホくさ!」と連発してきました。受付にビニルシートが設置される場面を見て「アホくさ!」、赤ちゃん専用のフェイスシールドが売り出されたと聞いて「アホくさ!」。だから家族に言わせると、ウチには“アホ科”の草がボーボーに生い茂っているのだそうです。
コロナを“カゼ”と称するかどうか、 “ただのカゼ”とまで表現するかどうかは、あくまで定義の問題です。「広く皆がかかり、まず熱や咳や鼻水といった症状が出る病気」という僕の中の定義においては、立派なカゼです。症状のない感染者がいたり発症前から感染力があったりといった特徴も、特効薬がないとかワクチンがないとか、「カゼをこじらせたら大変だから気をつけよう! 高齢者や病気持ちの方は特に!」という呼び掛けも、どれもカゼには当たり前のことで、決してコロナの専売特許ではありません。重症化して大変な目に遭われている方、その診療にご苦労されている医療従事者の方々がおられますので、そこはよく認識しなくてはいけません。一方で、その数を圧倒的に上回る軽症者、無症状者がいます。後者の数や実態や思いには触れることなく、前者(重症者、死亡者)にのみ焦点を当てて、あたかも殺人ウイルスであるかのように扱うことは、この感染症との向き合い方を誤っていると言わざるを得ません。その誤りを冷静に見つめ直そうとしないままでいるメディアや政治家の責任は、とても重いと僕は思っています。
「こどもの時にかかる病気を大人になってからやると大変」ということがよくあります。コロナはまさしくその典型です。世界中の誰にも抵抗力がない中で一気に流行したので、いきなりかかってしまった大人、特に高齢の方々が大変な目に遭っている状況のように思います。コロナを、誰もがかかり得るカゼと考えれば、出現してまだ1年程度でワクチンの実力も不明な今、かかることの善悪の議論は不毛です。なるべくかからないように日頃から努力しつつ、かかった場合にひどくさせない、周囲に広げないように気をつける、、、もちろんです! 「カゼをひいてもがんばって仕事に出る/学校に行く」ということを美徳化する皆勤賞の文化が日本にはありますが、見直す好機です。
春先以降、あらゆる季節ものの感染症がとんと見当たりません。胃腸炎、夏カゼ、水ぼうそう、インフルエンザ、などなど、小児科で季節を感じる様々な感染症が、流行することはありませんでした。「一般市民のコロナ向けの感染対策の副産物」という意見がありますが、だったら何でコロナは流行しっぱなしなの?と思ってしまいます。もっと自然界の別の摂理が裏で働いているのではないでしょうか。
世界の中で、コロナでひどい目に遭っている国とそうでない国や地域があることの理由探しも続いています。BCG説、マスク文化説、飛沫と関わる発音の仕方の違いによる言語説、靴を脱ぐ脱がない説、、、様々です。これに関しても、ウイルスがあるがままに振舞った結果に過ぎません。つまり、やはり自然の摂理なのであり、要するに、今はまったくの謎です。
コロナ騒動の中、人々はマスクをして表情を隠すようになりました。飛沫が飛んでも届かないように人と人との距離を空けるようになりました。挙句の果てに、人と接してはいけない、集まってはいけないと、イベントがなくなり、オンラインという仮想空間でのやり取りが推奨される始末です。コミュニケーションが希薄となり、心が通い合うひと時が急速に失われています。
高齢者を守らなければいけないということで、家族ですらも高齢者には近づかないことが推奨されています。でもね、コロナで旅立つことは許されないが、コロナ以外でならオッケー、という話でもないでしょう。最期の時間を家族とお話ししながら、手を握りながら、見守られながら過ごすこともできなくて、よい人生だったと思えるでしょうか。
コロナによる一番の医学的な脅威は、人間社会における”心の断絶”です。喜怒哀楽の感情を押し殺させ、他者を思いやる心を覆い隠してしまいます。コロナ対策ばかりにとりつかれ、忙しく過ごす間に、人々が、社会が、心を見失ってしまっています。
この一年は本当に特殊で、各種のイベントがなくなり、小児科の患者数も減り、緊急事態宣言もあって、時間的な余裕は十分にあるはずだったのではと思うのです。しかし実際には、コロナに対応するための会議があったり、コロナをキーワードにした診療のスタイルに適応しなければならなかったり、急速に発達して生活の中に入り込んできたオンラインのシステムによる会議や学会等の新しいスタイルに慣れるのに手間取ったりで、決してヒマではありませんでした。むしろ、コロナに振り回されて忙しくしているうちにあっという間に2020年が終わってしまった、そんな感覚です。
数年前に、仕事で忙しそうにしている僕に、友人が、「『忙』という漢字は、”心を亡くす”と書くのだよ。」と、ありがたいお言葉をくれました。この一年の特殊な忙しさを振り返り、ふと思い出しました。
コロナと向き合わなければいけない時間は当分続きそうな気配です。どうやら敵は、「心を亡くさせる(こころをなくさせる)」ウイルスです。大切なものを見失わずに歩んでいきたいものです。
「第3波」「変異種」騒動の中、何が真実なのか迷い惑わされそうなとき、先生のお言葉を読むことで、謎の中の一本の指針が見え、溜飲が下がる思いもします。そして何よりも現実の問題として、コロナ対応病院のみならず、愚かな政治家とメディアと世間による被害を被っていらっしゃる全ての医療従事者の方々に、改めて最大の感謝と敬意を表します。ありがとうございます。